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O.C.S.D.チャリティーアート展 インタビュー 「HYKRX」

神尾なつみ
2023.11.21

11月17日からバーニーズ ニューヨーク銀座本店にて開催
「O.C.S.D.チャリティアート展」
今回は、日本人グラフィティアーティスト HYKRXさんに作品の見どころなどについて聞いてみました。

-絵に触れ始めたのは何がきっかけだったのでしょうか?

HYKRX:絵に触れ始めたのは、小さい時で、みんなと同じようにクレヨンでお絵描きをしていたことがスタートでした。僕は漫画やテレビアニメが好きだったので、家に帰ってきても常に絵を描くような子供だったみたいです。僕が小さい頃は、学校に行くのが下手で、協調性をとることが苦手でした。当時は引きこもりという言葉はなかったですが、その走りだと自分では思っています(笑)

勉強は不得意でしたが、漫画とアニメを観ながら、絵をスケッチブックに描いては何かしてもらおうという気持ちもなく、学校の先生に持って行っていました。それが中学校までずっと続いて、それを見ていた母親が、あまりにも勉強が不得意な自分に「あんた漫画家さんになりよ」と言って、勝手に漫画家さんに僕が漫画家になれないかを聞いたりしていましたね。

-中学生以降はどんなことに熱中していたのですか?

中学生になってからは、バンドを始めました。僕は高校よりも美容学校に行きたいという気持ちが強かったため、中学を卒業してからは美容学校に進学することに決めました。中学校の時からロックを聞いていて、その時に海外のロックアーティストの髪の毛をセットする美容師さんを観ていて、すごく感動したことがきっかけです。

それからは元々好きだったロックやヒップホップ等の影響から、今でいうクラブのような、音楽を好きな人だけが集まる場所に行くようになりました。そこでレコードと出会い、「そんなに好きならレコード回してみる?」と言われて渡されたレコードのジャケットがNYの地下街で、その写真に描いてあるグラフィティを見て、ベタな言い方をすると電気が走りました。それ以降、自分が着ている服など身の回りにあるものを自分で描き出しました。僕が今50歳なのでそれが33年前だと思います。

‐レコードジャケットとの出会いも今のご活動に繋がる一つのきっかけだったのですね。

美容師の資格を取った後は、実家の自分の部屋の壁にベニヤ板を張って落書きをしていました。

僕たちの子供の頃は、学校に行かないのであれば資格を取りなさい、それか真面目に勉強をして大学に行きなさいと言われていました。僕は資格を選んだのですが、いざ美容師の資格で働こうと思っても仕事がありませんでしたが、ある時、某デパートのゲームショップで昼間に働く人を探しているという広告を見て、そこで仕事をし始めました。当時はパソコンのようなシステムはなかったのですが、その勤務先にはノートパソコンが1台置いてありました。そのパソコンで在庫管理ができるシステムを僕が作っていて、そのデパートに引き抜かれることになり、おもちゃ屋さんの店長になりました。そこで自転車も売ることになり、国家資格を取るように言われ、無事国家資格を取得し、おもちゃ屋さん兼自転車屋さんの経営を任されることになりました。このまま一生行くだろうなと思っていましたが、色々あって自転車屋さんを辞めることになり、実家に帰りました。

‐様々な職業を経験されていますね!

その後はまたレコードを回す生活に戻り、その時が24,25歳くらいですかね。実家に戻ったのでまた新しい仕事を探し、車関連の会社で働かせてもらうことになりましたが、今度はリーマンショックで、鉄物が売れなくなってしまい、クビになりました。また実家の自分の部屋にベニヤ板を持ち込み絵を描き始める生活に戻りました。

会社通いしていた頃はバンクシーを始めとした作品のコレクターでした。自分が絵を描いていることを知っていた友達は「これ描いたん?」とバンクシーの作品を見ながら聞いてきました。当時たまたま部屋に飾っていた作品の多くがステンシルを使用していたもので、自分もステンシルを使い始めたら、意外とハマったんです。

アートメーターさんというオンラインギャラリーサイトに、売れるわけがないだろうと思いながらも出展したら3作品全て売れました。そのようなことを試行錯誤しながら1年間続けていたら、大手のグラフィティを扱っているショップが声をかけてくださり、販売前にSold outになり、作品を出せば即時完売が当たり前になってきたある時、「作品というのは、瞬発的に刺激的なものを与えてすぐに購入されることよりも、ずっとそこにあってそれを考え続けて、しっかり判断して買ってくれることも大事だよ」と言っていただいたことがありました。

僕的には、瞬間で売れてお金を手に入れないと生活も厳しいので、実際その時は絵だけでなく、デザインのお仕事もやっていました。エステの機械やたこ焼き屋さんの看板のデザインなどもやっていました。僕は違うバイトをすると、その違うバイトに夢中になってしまうので、なるべく絵に関わる仕事をしなければならないと思い、いろんな縁でいろんなことをやらせてもらっていました。最終的には瞬間的に売れていたものが、どんどん売れ残るようになり、雇い先に依存するのではなく、責任と喜びが100%で返ってくるような働き方をしようと考え直しました。そこから売れなくなるかもしれないけれど自分の力で1からホームページやオンラインサイトなどを立ち上げました。

静かに壁に絵を描きに行ったりしながら活動していたら様々なところから声をかけてもらえるようになりました。僕は親がアーティストな訳でもないし、自分自身が美術学校を出ている訳でも、賞を取ったりするような人間でもないけど、皆さんに声をかけていただくことが15年ほど続いています(笑)

-元々人脈が広いほうだったのでしょうか?

HYKRX:ないです…!1番初めに大きなところで声をかけてくださったのが、セゾンアートギャラリーさんで、今はもう閉めてしまったのですが、表参道でやっていて、わざわざ家に来てくださって、一緒にやりませんか?と話してくださったことを覚えています。

当時の僕は、ご飯を食べるために仕方がなく絵を描いていたので、そういう画廊や展示会に出るのが嫌でした(笑)

逆に言えば、無職で貯金も0円だったので飛び込むしかなく、怖いものはなかったので、どんな作品を作ろうが、批難を浴びようが関係ないという気持ちで作っていました。

来てくれる人は祝福してくれて、あたたかい言葉をかけてくれるけど、自分は眉間にシワを寄せてピリピリした感じで作っているので、そのギャップが受け入れられなかったです。

でも、セゾンアートギャラリーをきっかけにたくさんの人に声をかけてもらう機会が増えたように感じます。

– ギャラリーさんとお仕事し始めたのはいつごろからですか?

HYKRX:ここ4年くらいですかね。


-チャリティーアート展について-

title:Safety Pin

今回のテーマである「TASTE・LUXURY・HUMOR」をどのようにして作品で表現しようと思いましたか?

HYKRX:何年か携わらせていただいて、他の作品も見させていただいていますが、皆さんしっかりとキャラクター立っていて、僕自身は描きたいものしか描いていないので、皆さんがキャラクターを描くのであれば、キャラクターではない方がいいのではないかと考えました。

今回の作品の安全ピンは僕が幼い頃から好きで、描きました。たまたま今回のお話をいただく前に安全ピンの模写をしていて安全ピンという名前は安全だけど、全然安全じゃないから、「何が安全ピンなんだろう?」と思っています(笑)

僕は自分の生活で考えたことから作品は全部作るので、外は晴れてるけど自分の体は曇ってるなと思い、何でこんな落差が生まれるのか考えた時に僕の中では安全ピンはキラキラして見えてLUXYRYだったんです。安全ピンは止められるけどずっと安全な訳ではなく、外れたら危険だけど外さないと新しいところにはさせないし…と思った時に、日本の中で一個やっていることを外して新しいことに刺さりに行くというのは、なかなか保守的な人間としては難しいところが頭の中でハマりました。

今回の作品の安全ピンは網点*という印刷技法なのですが、それを拡大してカッターで切り、スプレーでやったらアナログでできるのではないか?と思い立ち、制作しました。さらにそれを整ったキャンバスではなく、モルタル等を使ったボロボロの荒れたキャンバスにすることで冒険の気持ちが生まれ、あの外れてる感じがLUXURYでもHUMORでもあると思いました。

今回は、作品を出した時にこれ描いてくるの?とバーニーズさんに思われるなと思ったのですが、バーニーズさんで展示されることを考えた時に「こういう感じでくるのね」ではなく「こういう感じでくるんじゃないのね、あなたは。」の方がいいのではないかなと思いました。サイズもなるべく小さくして、手にしやすいサイズ感のものを作成しました。今までにない雰囲気の作品で、まだまだ今からの作品なので、その初めての作品を出す機会としては1番いいと思いました。学生さんにも色々なことにチャレンジして欲しいので、そういう時に自分が安全だと思っているものは本当に安全なのか考えてもらいたいな、と。絶対に安全なものはないと思うので。

*濃淡を表すためのドットの集合のこと。

-本作品2点の制作期間はどのくらいでしょうか?

HYKRX:大体1ヶ月くらいです。カッティング自体は一週間程で終わってしまうのですが、どうしてもデザインを齧っていたので、構図のバランスや位置が気になり、こだわってしまったので、そこに時間がかかってしまいました。

-今回のチャリティーアート展はバーニーズ ニューヨーク(以下:バーニーズ)の銀座本店で行われますが、バーニーズさんの印象を教えてください。

HYKRX:若い頃から色々なところに洋服を見に行っていたので、元々バーニーズさんを知ってはいましたが、どちらかというとスーツや革靴などのトラディショナルなものを売っているというイメージです。

以前店舗の前を通った際は、重厚感があり敷居の高い印象でしたが、今回のアート展を機に調べさせていただいて、スタッフさんのブログのようなものを見た時にアットホームな感じで、元々持っていたイメージとは少し変わりました。

-制作するうえで表面的にこだわっている部分と、反対に本質的にこだわっている部分はありますか?

HYKRX:表面的にこだわっている部分は、ステンシルは型紙を切るので、デザインナイフやカッターナイフを使うのですが、どうしても絵が切り絵みたいにカクカクしてしまうので、そうならないようにこだわっています。

十数年、僕の作品を見てくださっているコレクターの方によると、僕の線はわかると言うんです。僕は「ここがもう少しぶれている方がアナログっぽいかな」のように感覚的に捉えているだけなので、はっきりとはわからないのですが、周りの人が言うには絵のタッチが変わるからわかると言うんです。なので、アナログになるように気をつけています。

型紙を外した時が、自分の中ではアドレナリンが一番出ますけど、それは自分の中で感情をコントロールしないと次の工程に行く時に失敗してしまうし、どうしても描いていると感受性が豊かになって勢いでスプレーをやってしまうとはみ出てしまうこともあるので、それはある程度抑えるようにしています。一番グッとくるのは型紙を剥がす瞬間です。

本質的な部分や作品のメッセージで言うと、自分が感じてきたこと、してきたことを、そのままストレートに表現するのではなく、頭2つ横くらいのイメージで捻るという感じです。私は文章を書いてから、それを絵でどうやって表現できるだろうか?というふうに考えます。

人前に立つときにカッコつけるのが嫌いなんですよね。だから自分自身でスイッチを入れたり、切らなければならないと思った時に電球を光らせるというアイディアを思いつき、ただ電球を光らせるシュールな絵よりも、可愛らしく描いたらみんな手にしてみようかなと思うと考え、描いた作品もありました。

-作品に取り掛かるときは文章からスタートするんですね!

HYKRX:絶対に文章からです。

荒削りな2,3行程度の文章から、作品のイメージをどんどん膨らませていきます。

型紙を切ってスプレーを振って、一番最後にタイトルを決めます。

-最後に、これからの活動でやっていきたいことはありますか?

HYKRX:立体造形をしたいです。フィギュアとかではなく、FRBなどを使ったもっと大きな作品を作りたいです。あとは、今回作った網点表現です。網点表現は2Dですが、3Dにして網点表現をしてみたいなと思っています。どんな人と、何歳の人と会っても経験が浅い深いで話さず、同じ感じで話すからなのかなと思います。

‐ありがとうございました!


PROFILE

HYKRX

HYKRX(ヒャクラク) 90年、バンドフライヤーの制作から始まったアーティスト活動は、日に日に輝きを増し、日本を代表するステンシルアーティストへと成長した。メディアへの露出は少ないが、多くの強い支持を得ている。数少ない「伝わる」作品を描き続けるアーティスト。
Instagram:https://www.instagram.com/hykrx/